終戦から74年。〜平和を未来へつなぐ誓い〜
私の父方の祖父は兵士として旧満州へ渡りました。
そこで祖母と出逢い結婚、そして終戦の年に私の父が生まれました。
満州生まれから、満夫と名付けられました。
祖母は現地では満足な食事も取れなかったため、オッパイも出ず、生まれて間もない父は「干からびたカエル」状態だったそう。
祖母は日本へ引き揚げる際、周囲の方々に『乳飲み子(父)は連れて行くのは大変なんだから置いていけ』と言われたそうですが、それでも手放さず父と父の兄姉の計3人の子ども達を連れ、日本へ戻りました。
その後、祖父も旧満州から引き揚げ日本へ戻り、家族と再会しました。
戦争や当時の満州での話をあまりしたがらない祖父に変わり、祖母が、私の母に何度となくそう話をしていたそうです。
それを私は母から大人になってから聞き知りました。
『おばあちゃんがお父さんを頑張って満州から日本に連れて帰ってなかったら、私たちって生まれてなかったんだね』
そう兄や妹とたまにしみじみ話をします。
私の祖父母は旧満州から生還することが出来ました。
だから今の私があります。
母が私に教えてくれたように
息子が大きくなったら私もお話したいと思います。
この祖父が漬物屋「青三」の創業者でもあります。
終戦から74年。
昭和から平成、そして令和へと時代が移り、今日に至るまで、日本は平和国家の道を歩んでいます。
その時の流れの中で、戦争を体験した人たちは次第に減少し、総務省の人口推計によれば、「戦後生まれ」は2018年に総人口の83%を超えました。
昨日8月15日は、終戦の日。
岩手護国神社にて戦没者追悼式に参列してきました。
戦火の犠牲になった人々を悼むとともに、戦争を知らない私はこれを未来へつないでいく責任を胸に、平和への誓いを新たにしました。
平和への願いがみんなの願いとなりますように。。